タイトルは決め打ち、二人の目重視、冬の夜ひとりの旅人がのカルヴィーノが引用した一千一秒物語の詩を参考、
意図しない珈琲が渋くなる日(2026/01/07)の続編、意図しないちょっとそういう雰囲気、どうして
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こんな、夢を見た。
夕方……私は、ポッケの中に自分を入れて歩いてた。まるいまるいお月様。
風鳴りの音がひどくって、丸々としたソマルの実もぽとりと地面に落ちそうな。
でもなんだか、冬のように肌寒くて。季節があべこべで、夏なんかじゃないみたい。
気付けばまるいソマルの実はひとつ、ふたつ、みっつ。ぽとりって音を響かせながら全部落ちて、坂をころころ、転がり始めてた。
陽が落ちる。夜が来る。
あぁ、本当なら素敵な響きなのに。どうしてかな。震えが止まらない。
私の知らない夜が来たみたい。どうして?
あぁ、わかった。月が落ちてく。
轟々と、シルバーシダーの木が揺れる音がする。葉先がこすれあって、雲も流してしまう暴風に、たくましい太い幹でもしんどそうに悲鳴を上げてる。このままじゃ、枝が……雄弁な空の指先に絡め取られて、手折れちゃう。
「あ……。卵が、落ちちゃう」
優しくしないといけないのに。
そう思うまもなく、落ちたのはポッケのお月様だった。
気付けばにわか雨が髪の上を滑っていて、頬を濡らして。受け皿のように私の前に広がっていたアスファルトの坂の上を……ころころころころ。どこまでもころがっていった。落ちた卵も、ソマルの実も、一緒にころころ転がって。遠くなっていく残響に取り残されそうで。
私は、背中を突き飛ばされたみたいに走り出す。理由は分からない、何が起こってるのかも、分からない。なんでこんなに悲しいのかも……分からないけど。
けどどんなに坂を下っても、お月様も、ソマルの実も、卵も。加速度的にころんでゆくから。私とお月様との感覚が次第に遠くなっていった。
自分の何かが欠けて、手の届かないところに行ってしまうみたいで。気持ちと身体がまっぷたつで。分からない。なんなんだろう、この感情は。自分の中にあるのに、自分のものじゃないみたい。
……そっか。だから落ちていったんだね。
ぽとり。
「居眠りはいいのだけれど、場所を変えたらどうかしら?コロンビーナ」
遠くから、最近一番馴染みのある声がした。距離は……とん、とん、とん、とん。後もう一歩。私の足の先で水紋が五回広がれば、背中に手が届く距離かな。ここはサンドローネの工房だから、私とサンドローネの間にはいっぱい、彼女の機械がある。軍用循環式クーヴァキコア……だっけ。最近工房に持ち込んで、試作で色々してるの、知ってるから。他の機械よりも気配が感じ取りやすくて、私は良いと思う。そっか、寝ちゃってたんだ。こないだのサンドローネの忘れ物を返しに来たついでに、マカロンのお礼を言って、サンドローネと他愛ないおしゃべりをしてたんだった。紅茶はすべて飲み干していたから、テーブルの上は綺麗に片付いてる。それこそ今なら卵を転がしてもなににも妨げられずに、反対の端で落ちちゃうね。飛ばしたクーヴァキはまっすぐ通り過ぎていって、少し離れた機械を小突いて反響してた。サンドローネが手元を動かす音はいつもより少し低くて、多分屈んで作業してるんだと思うけれど、こっちを見てはいないみたい。
「うなされてた?」
「歌声の方がよっぽど集中できるわね」
「……ごめんね、サンドローネ」
「気にする必要ないわよ、やかましかったわけじゃないから。お友達にも聞こえてないわ」
身体が冷えてなかったから、忘れてた。座ってる場所は窓際で、すぐ近くの木には小鳥がとまってる。気配で探した方が楽なくらいには、宵の口に入ってる。工房の外にも、この会話が耳に入ってしまうような気配はなかった。肩の温もりの正体は、足元に落ちていて。卵の殻は、このブランケットだったみたい。
「優しいんだね、サンドローネ」
「見てるだけで寒いからよ、アナタの格好」
手元に引き寄せて、そっと丁寧にたたむ。クーヴァキが籠もってるわけでもないのに、なんだか不思議。自分の体温を注いで湛えさせている以上の温もりを感じるから。
「サンドローネはこのブランケットに、どんな力を注いでるの?」
思ったことを、素直に聞いてみる。私の知らない力だったから。心拍が、少し上がった。サンドローネは時々、私が話しかけるとぴくりと肩を揺らす。感情の動きを読み取ろうとしてみるんだけれど、上手くいかない。情緒の波を自分の中で再現してみようとすると……それこそ転がり落ちていくみたいに、足がもつれるみたいに、ふらふらして立ってられなくなりそうで。空に落ちていくのか、暗闇に墜ちていくのか、分からなくなる。
「たまたま。アナタの肩に落ちてきただけよ」
そんなたまたまがないことは、知ってる。だって、私が工房によく来るようになってから、用意してたのは気付いてるから。
少しずつ、無意識の届く範囲が広くなってきて、少し離れたところにコートが掛かってあることに気付いた。サンドローネのかな。……ううん、違う。私のだ。じゃあ、私が寝てる間に取りに行ってくれたんだね。こないだ貸したままだった、私のコート。なんだか……不思議な感じがする。よく知ってるはずなのに、全く別物になっちゃったみたい。普段「見れてない」からまとわりついてるクーヴァキの気配だけでしか「見てない」んだけど、私のクーヴァキはたしかに残ってるのに……すごく、濃厚な?サンドローネの匂いで溢れてて。なんなら、サンドローネがいつも羽織ってるサンドローネのコートなんかよりよっぽど、気配が残ってる。今まで見たことがない現象で、おもしろい。嫌な夢を見た後で少し調子が悪くって、寝起きだからふらつくけど。さすがに羽織ってみたかったから、椅子から立ち上がって歩いていく。なんだか、サンドローネの方に向かって歩いてるみたい。
「どんな夢を見てたのかしら?寝覚めは良くなさそうだったけれど」
「うん……あんまり。変な夢だったみたい」
「アナタの見るような夢なら、少しは退屈しのぎになりそうね。聞かせてみてくれる?」
――こんな、夢を見た。コートを手にとって羽織りながら、サンドローネに夢の内容を。ぽつりと、感じたとおりに話していく。
「なんだか、自分の感情なのに自分のことが、わからなくなっちゃった。未来から過去へ生きてるみたい。心当たりのない未来のことを覚えたまま、今ここにいるみたいな」
そんな、感覚。なんで私は、お月様を落としてあんなに、悲しかったんだろう。まるで月髄みたいな、私のお月様。私の感情なのに、もう私だけのものじゃないみたいな、誰かから貰ったものみたいな。そう、まるで、サンドローネが……。
「んん……やっぱり違う、かな……」
「何が違うと思ったの?」
「ううん、なんでもない」
サンドローネは、なにか考えてるみたいだった。私の夢の話を聞いてる間、言葉少なで。座り直しながら、コートのサンドローネを感じる。うん、やっぱり、こうして近くにあるとよく分かる。夢の中で私が落としたものの内ふたつは、似てるようで違うものだった。多分声質自体は、人からもらうものだっていう点で、かなり近いものなんだとは思う。ソマルの実と卵、そのふたつは……雲一つない晴天みたいな眩しさを取りこぼしてしまったみたいだった。すごく大切に感じた。でも、一つだけ明確に違うものがあって、それがこのコートと、ブランケットと、おんなじで。私の中に雨垂れて溜まった感情が、ぽとりと制御できなくなって、転がり落ちていったみたいな感覚。これも大切だっていうのは分かるのに、それ以上に、どう理解すればいいのか全く分からなくなる。それは……もっとこう、よく澄んでいて綺麗な夜みたいにあたたかくて、雨が降って地面が泥濘んだ朝みたいにじっとりしてた。心地よくて、苦しかった。何かは全く、分からないけど。このコートが、同じものなのに変わってしまったみたいに。どろりとしてて、簡単にはなくならない。落としたはずなのに見えない糸を引いて繋がってるみたいで、離れていく度に、繋がってる胸が苦しくなる。どうしちゃったのかな。なんだか、よっぽど夢見が悪かったみたい。
「どこに落ちていったか分からないまま起きちゃったみたいね」
「……うん。あおいもやの中へ入って何もかも見失って、起きちゃった」
「たしかに、嫌な予感がするわね、そんなの見ると」
小さく吐息をついた後、サンドローネが立ち上がる音が聞こえた。
「ほら、こっちきてごらんなさい。寝癖直してあげるから。そしたら部屋にくらい送ってあげるわ」
「寝癖なんてついてないよ、サンドローネ」
少し。ほんの少しだけ。
ふらつきながら立ち上がる。
だめだ、気が散っちゃう。
クーヴァキの感覚をもっと鋭くしないと。
「コロンビーナ、アナタほんとしんどそうね……」
サンドローネの心配が伝わってくる。
だめだな、なんか。
もっとしっかり立たないと。
確か距離は……とん、とん。とん、とん。
後もう一歩、だったはず。
サンドローネが歩き始めてるし、私もいつもみたいに一歩が広くないから……あれ。
おかしい、コートを羽織って落とした月のことを想ってから。
胸がざわついて。
サンドローネの位置が分からない。
だって私はもう、サンドローネに抱きしめられてるのと変わらないくらい、肩に彼女を感じてて……。
やっぱりこれも、サンドローネの特殊な力なのかな?
でも、このままじゃ心配させちゃう。
三歩だけ進もう。
それできっと大丈夫。
一歩。椅子から離れた。
「大丈夫だよ、サンドローネ」
二歩。サンドローネの方へ。
「このくらい大したことないから」
三歩、あれ、あ――。
「ちょっと、コロンビーナ!?」
軍用循環式クーヴァキコア……部屋にクーヴァキが溢れてるんだった。
そっか、今の精度じゃクーヴァキの反射、ちゃんと見分けがついてなかった。
これじゃまるで、もやの中にいるみたい。
なんて気付いた時には……もう遅くって。
普通の一歩で歩いてたから、勢いは止められなくって。
ぶつかった瞬間、咄嗟に反射で、クーヴァキの感度を高めてしまったから。
「ねえ、堕ちた先って、サンドローネだったのかな」
あおは跳ね返さずに吸収しやすいから。
目を瞑ってても、クーヴァキを使えば。
残留したクーヴァキが乱反射するみたいにうすぼんやり、見えるんだ。
でも……その色は、もはやモヤ、なんかじゃなかった。
一瞬すれ違いざまに輝いたその「青」は、
満月よりももっと鮮烈な――クーヴァキを湛えて綺麗な水面に映る、満月だった。
ナド・クライで見た宿影花の花弁みたいに。
ほんのひと時、ちかちかと縁で瞬いたピンクが、
網膜に焼き付いて、離れない。
その一瞬だけ、ずっと閉じていた瞳を思わず、
開いてしまいそうだった。
サンドローネにはゼンマイが付いてるから、
押し倒してもしなだれるようになるだけだったから。
顔がぶつかるのを避けて……流れ星みたいに、本当に、うたかたの間だったけれど。
私は……たった一つ言の葉を漏らしてから、
息をするのも忘れてしまった。
「そうね……ッ!結果的に、そうなってるけれど?コロンビーナ……っ!」
サンドローネの心拍が、上がってる。
なんでかな、私もつられて、心拍が上がる。
やっぱりサンドローネは、なにか不思議な力も持ってるのかも。
「ねえ、サンドローネ。どんな力を使ったの?コート羽織ってから、おかしくなっちゃった。胸がざわざわして苦しいよ」
「……っ。そんな事、心当たりもないし、知らないわよっ」
サンドローネが口を開く度に、吐息がうなじにかかる距離で。
ちいさくて柔らかい身体が……心臓からすぐのふくらみも触れ合ってしまってるのが、服越しにでも近く感じられて。
髪の毛が肘のあたりを掠める毎に……もっと身体に、力が入らなくなっちゃいそうで。
息が上がってるみたいに、サンドローネの身体は、ゼンマイの回転にあわせて、上下する。
「なにも力を使ってないの?じゃあ……これはどういう現象なのか知ってるの?」
サンドローネ。
「――その内、アナタ自身で理解できるといいわね」
震えるのを、押さえつけるように。
サンドローネは感情の制御が、上手なんだね。
こんなに内側は、蝋燭の火が風に揺さぶられるみたいに、ざわめいてるのに。
「わかった。サンドローネ。今日は帰るね」
……一人の部屋の床で、座り込んでしまう。
転移で逃げ出しちゃった。
どうしよう、このコート。
サンドローネの気配が消えるまで、羽織れないかも。
こないだサンドローネが逃げるみたいに帰っちゃった理由が、ほんの少し……分かったかもしれない。
衣擦れがくすぐったい。
耳の先から身体の奥まで、火照ってしまって。
でもどうしたらいいかなんて、発熱の抑え方なんて。
寝るくらいしか、わからない。
でもサンドローネは、私自身で理解できるといいねって言ってくれたから。
今度は悲しい夢をみなければいいなって、目を瞑る。
サンドローネと一緒にいると、この感情の正体、わかる時が来るのかな。
胸の疼きも、のぼせそうな身体も、起きれば全部、収まってるかな。
ねえ、サンドローネ。
夢で……また、私が落ちていくことがあったら。
今度もキミが受け止めてね。
